校長だより

第53回卒業証書授与式

本日(28日)午前10時より、第53回卒業証書授与式を挙行しました。53期生の卒業を保護者の皆さん、在校生、そしてたくさんの来賓の皆さんとともに祝いました。卒業生が読む答辞の場面では、卒業生全員が立ち上がり保護者席に向かって深々と一礼、そして感謝の言葉。担任団もみな知らないサプライズで、本当に暖かい卒業式になりました。やるなあ、53期生。

校長式辞は以下の通りです。

「今週初めまでの寒波のようにまだまだ冬の寒さを感じますが、暦の上では、立春・雨水が過ぎ、春の訪れを感じる季節となってまいりました。53期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、これまで成長を見守ってこられた保護者の皆さま、本当におめでとうございます。あとさきになりましたが、本日、大阪府議会議員の皆様をはじめ、多くの来賓の皆さまにご臨席いただきました。卒業生の旅立ちをともにお祝いいただきますことを、高いところからではありますが、心から御礼申し上げます。さて、卒業生の皆さん、皆さんの高校生活は、新型コロナウイルスが広がった3年め、制約の多くが緩和された中でスタートしました。コロナ禍の経験から、『当たり前のことが当たり前でないこと』を実感し、出来ないことを嘆くのではなく何が出来るかを考えた日々だったのではないでしょうか。そんな皆さんの高校生活を振り返った時に、入学式で皆さんに話した内容を再度伝えたいと思います。それは、こんな話です。2011年、平成23年3月11日、午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北地方を襲い、多数の死者・行方不明者が出ました。東日本大震災です。その地震が起きた二カ月後、大阪府教育委員会に務めていた私は、岩手県に三週間、被災地支援に行きました。そこでの私の仕事は、毎日毎日、避難所を回って、必要な支援物資を届けることでした。避難所で知り合った二十代の男性に、大阪に帰る直前にこんな話をしました。『大阪の高校生に何か、伝えたいことはありますか』彼は『今を大切に生きて欲しい』『今できることに精一杯取り組んでほしい』と言いました。なぜそんなことを言うのか。彼には高校時代から付き合っている彼女がいました。5年以上付き合って、二人とも結婚を意識していて、そろそろプロポーズをしようと考えていたそうです。明日しよう、…でも仕事が忙しくて。また明日にしよう、…でも友人と遊びに行くのを優先して。そして、3月10日の夜、明日の仕事が終わった後にデートすることになっている、夕食を食べることになっている、その時に言おうと思っていたら、あの大地震が起きました。彼女は津波にさらわれてしまいました。彼は悔やんでも悔やみきれないと言います。当たり前の日々は当たり前ではないこと。当たり前ではないからこそ、今を大切に。今出来ることにしっかりと取り組んでほしい。被災地で出会った人の話をもう一つしましたね。現地には、大阪からも多くの人が支援に来ていて、そこで出会った高槻市の職員さんがこんな事を言われていました。『私の仕事は戸籍や住民基本台帳の復元です。全ての戸籍や住民票の台帳が津波で流されたので、現地の人に聞き取りをして、一から名簿を作り直してます。被災した沿岸部には宿がないので、内陸部の宿舎で寝泊まりしてます。朝の5時に起きて、6時には宿舎を出て、8時前には被災地の仮庁舎に入り、夜11時まで仕事をします。肉体的には大変だけど、誰かの役に立っていると思うと、頑張れます』他にもたくさんの支援者と出会いましたが、皆さん、『誰かを支えている、誰かの役に立っていると思うと、元気が出てくる、頑張れる』と言われていました。そうです、人間は自分のためだけでなく、誰かのために頑張ったり、誰かを支えようとした時こそ、はるかに力を発揮できるのです。皆さんには今出来ることにしっかりと取り組んで欲しいこと、自分のためだけではなく誰かのために頑張って欲しいこと。この二つをお願いしました。昨年元旦に発災した能登半島地震の復興もまだ道半ば、世界ではウクライナ戦争が4年めに突入し、ガザの戦闘も続いています。そんな世の中だからこそ、改めて卒業に当たって、再度、皆さんにお願いします。卒業生の皆さん、どうか、今という時間を大切にしてください。そして、誰かの役に立ったり、誰かを支えることで、あなた自身も元気になって、今まで以上に成長してください。最後に、京都大学名誉教授で細胞生物学者の永田和宏さんの言葉を皆さんに贈ります。『高校までの学びは、学習です。学んで習得する。つまり、如何に正しく答えられるかが、大切だった。これからの学びは、学問です。学んで問う。つまり、これからは如何に問うことが出来るかが、大切です』。10年後20年後、皆さんが幸せになっていることを願って、私からのはなむけの言葉とします。」

 

 

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