本日(28日)は本校の第52回卒業証書授与式でした。この一週間で唯一、晴天に恵まれ、本校生の卒業を祝うかのような青空が広がっていました。式辞で述べたのは以下のような内容です。
『まだまだ朝は冬の寒さを感じますが、暦の上では、立春・雨水が過ぎ、春の訪れを感じる季節となってまいりました。52期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、これまで成長を見守ってこられた保護者の皆さま、本当におめでとうございます。あとさきになりましたが、本日、大阪府議会議員の皆様をはじめ、多くの来賓の皆さまにご臨席いただきました。卒業生の旅立ちをともにお祝いいただきますことを、高いところからではありますが、心から御礼申し上げます。さて、卒業生の皆さん、皆さんとは2年間しか同じ時間を共有出来ませんでしたが、たくさんの元気をもらいました。ありがとう。皆さんの高校生活は、新型コロナウイルスが広がった2年め、多くの制約がある中でスタートしました。それでも、制約の多い中で出来ないことを嘆くのではなく、何が出来るかを考えて、部活動や学校行事に取り組んでくれました。「当たり前の日常が当たり前ではないこと」を実感し、だからこそ日常こそが大切だということを身をもって感じてくれた三年間ではなかったでしょうか。そんな皆さんの三年間に想いを馳せると、改めて皆さんが2年生になった1学期の始業式の時にした話を思い出しました。13年前の東日本大震災の際に私が被災地支援に行った話をしたことを覚えていますか。2011年、平成23年3月11日、午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北地方を襲い、多数の死者・行方不明者が出ました。その地震が起きた二カ月後、府庁の職員をしていた私は、岩手県に三週間、被災地支援に行きました。そこでの私の仕事は、毎日毎日、避難所を回って、必要な支援物資を届けることでした。避難所で知り合った二十代の男性に、大阪に帰る直前にこんな話をしました。「大阪の高校生に何か、伝えたいことはありますか」。彼は「今を大切に生きて欲しい。今できることに精一杯取り組んでほしい」と言いました。なぜそんなことを言うのか。彼には高校時代から付き合っている彼女がいました。5年以上付き合って、二人とも結婚を意識していて、そろそろプロポーズをしようと考えていたそうです。明日しよう、…でも仕事が忙しくて、また明日にしよう、…でも友人と遊びに行くのを優先して、そして、3月10日の夜、明日の仕事が終わった後にデートすることになっている、夕食を食べることになっている、その時に言おう…と思っていたら、あの大地震が起きました。彼女は津波にさらわれてしまいました。彼は悔やんでも悔やみきれないと言います。当たり前の日々は当たり前ではないこと。当たり前ではないからこそ、今を大切に。今出来ることにしっかりと取り組んでほしい。被災地で出会った人の話をもう一つしましたね。現地には、大阪からも多くの人が支援に来ていて、そこで出会った高槻市の職員さんがこんな事を言われていました。「私の仕事は戸籍や住民基本台帳の復元です。全ての戸籍や住民票の台帳が津波で流されたので、現地の人に聞き取りをして、一から名簿を作り直してます。被災した沿岸部には宿がないので、内陸部の宿舎で寝泊まりしてます。朝の5時に起きて、6時には宿舎を出て、8時前には被災地の仮庁舎に入り、夜11時まで仕事をします。肉体的には大変だけど、誰かの役に立っていると思うと、頑張れます」。他にもたくさんの支援者と出会いましたが、皆さん、「誰かを支えている、誰かの役に立っていると思うと、元気が出てくる、頑張れる」と言われていました。そうです、人間は自分のためだけでなく、誰かのために頑張ったり、誰かを支えようとした時こそ、はるかに力を発揮できるのです。皆さんには、今出来ることにしっかりと取り組んで欲しいこと、自分のためだけではなく誰かのために頑張って欲しいこと。この二つをお願いしました。元旦に発災した能登半島地震を思えば、改めてこれらのことを強く感じます。卒業に当たって、再度、皆さんにお願いします。卒業生の皆さん、どうか、今という時間を大切にしてください。そして、誰かの役に立ったり、誰かを支えることで、あなた自身も元気になって、今まで以上に成長してください。最後に、京都大学名誉教授で細胞生物学者の永田和宏さんの言葉を皆さんに贈ります。「高校までの学びは、学習です。学んで習得する。つまり、如何に正しく答えられるかが、大切だった。これからの学びは、学問です。学んで問う。つまり、これからは如何に問うことが出来るかが、大切です」。10年後、20年後、皆さんが幸せになっていることを願って、卒業生の皆さんへのはなむけの言葉とします。』